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幕別町白人小,元教諭がアイヌ歴史絵本を寄付

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幕別町立白人小学校=2014年7月撮影

 幕別町立白人(ちろっと)小学校に, 白人学校はじめ物語」など 2冊の手作り仕掛け絵本 が届けられました。
 寄贈したのは「たまげたおじさん」と名乗る,かつて白人小の教諭も務めた札幌在住の玉置富士夫さんです。
 幕別町内で最も古い白人アイヌ学校のことや,白人小の沿革などがまとめられた1冊で,もう1冊は「白人コタンの吉田菊太郎」です。


 十勝毎日新聞が, 「元教諭がアイヌ歴史絵本を寄付 幕別・白人小」 と伝えています。


 【幕別】白人小学校(山田洋校長,児童253人)に,「白人学校はじめ物語」など2冊の手作り仕掛け絵本が届けられた。寄贈したのは「たまげたおじさん」と名乗る,かつて同小の教諭も務めた札幌在住の玉置富士夫さん(70)。町内で最も古い白人アイヌ学校のことや,白人小の沿革などがまとめており,山田校長は「大変ありがたい。蔵書として大切に使いたい」と話している。


 絵本は「白人-」と「白人コタンの吉田菊太郎」。昨年10月の休日,学校に1人で訪れ置いていった。住所と名前,初任が白人小であることなどが記された手紙が添えてあった。


 玉置さんは岩見沢出身。道教育大卒業後,1967年白人小に赴任し,6年間務めた後,札幌に転出。大谷地小で定年退職した。50代後半にアイヌと教育の歴史などに興味を持ち,独自に書籍などを読み込んできたが,7年ほど前から仕掛け本にして関係箇所に寄贈してきた。たまげたおじさんは名字の「玉」から付けたという。


 その数は20種類ほどにのぼり,十勝では町ふるさと館(幕別)などにも同様の絵本を寄贈した経験がある玉置さんは「多くの人に分かりやすく伝えたいと始めた。自分が関わった学校の歴史を調べると興味深かったので制作に取り組んだ」と話していた。


-略-

 (佐藤いづみ)

以上引用:十勝毎日新聞社ニュース電子版/2015年03月18日06時00分の記事

幕別町白人小,元教諭がアイヌ歴史絵本を寄付_b0191190_04534066.jpg参考:吉田菊太郎
 吉田 菊太郎(よしだ きくたろう、1896年7月20日 - 1965年1月8日)は昭和時代のアイヌ民族運動家。北海道幕別村のアイヌの首長・トイペウク(庄吉)の子。

経歴[編集]
 十勝国中川郡幕別村字白人(チロット)村に、父トイペウク(庄吉)・母アシマツ(マツ)の長男として生まれる。白人小学校・幕別高等小学校を卒業し、父を継ぎ農業を営む。若い頃はその父への「ある反感から」「他の人が驚き怪しみもしたほど」酒におぼれ、すさんだ生活をしたが、1927年(昭和2年)2月8日に泥酔して自分の家を焼いてしまったことをきっかけに禁酒を誓い、2月15日には厚内方面に出稼ぎに出る[1]。断酒に成功し8月には故郷に帰る。その頃に創立された十勝アイヌ旭明社(社長・喜多章明)に参加し、翌年には精神修養と生活改善を目的とする白人古潭矯風会を創設し会長に就任する。1931年(昭和6年)、北海道アイヌ協会の機関誌『蝦夷の光』第2号から編輯蒹発行人となった。1932年(昭和7年)に幕別村会議員に初当選。1946年(昭和21年)2月、社団法人北海道アイヌ協会の副会長に就任し、10月には十勝アイヌ協会を結成し会長に就任する。アイヌ文化保存に最も心血を注ぎ、その努力は1959年(昭和34年)に落成した蝦夷文化考古館(幕別町)として結実する。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(写真も/吉田菊太郎)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8F%8A%E5%A4%AA%E9%83%8E

参考:白人
 白人(ちろっと) 中川郡幕別町 アイヌ語の「チロ・ト」(鳥の沼)より。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(北海道の難読地名一覧)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%AE%E9%9B%A3%E8%AA%AD%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7


by sembiri | 2015-03-26 06:37 | 十勝管内の小・中学校 | Comments(0)