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 仙美里小学校の校庭に、
二宮尊徳の像
が建っています。
 台座を見ると、23代校長の工藤雅史先生の書で「磨け知・徳・体」と合わせて「仙美里小学校開校100周年記念・平成13年11月25日」とありました。このブログ記事を書いている2010年(平成22年)には、仙美里小学校が開校109年という長い歴史の学校であることが分かります。
 台座の残りの3面には、子ども達の寄せ書きが刻まれています。「ダンプの運転手になる」「美ようしになる」「ゆめ花やさん」という将来の希望や「へいわな世界にする」「しぜんを大事にする」「この町を良くしたい」と一人一人の決意が書かれています。
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《参考:二宮 尊徳》
 二宮 尊徳(にのみや そんとく、天明7年7月23日(1787年9月4日) - 安政3年10月20日(1856年11月17日))は日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家。通称は金次郎(正しい表記は「金治郎」)。諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓む。

 日本銀行券A1円券(有効券)各地の小学校などに多く建てられた、薪を背負いながら本を読んで歩く姿に関する記述は、1881年発行の『報徳記』で現れる。ただし、薪を拾って売り、その金で勉学をしたのは事実だが、このような姿で実際に歩いていたという事実はないとされる。報徳記を基にした幸田露伴著の『二宮尊徳翁』(1891年)の挿絵で、はじめて薪を背負って歩く姿の挿絵が使われた。確認されている最初のこの姿の像は、1910年に岡崎雪聲が東京彫工会に出品したものである。1904年以降、国定教科書に修身の象徴として二宮が取り上げられるようになった。小学唱歌にも二宮金次郎という曲がある。 小学校に建てられた二宮像でもっとも古いものは、1924年、愛知県前芝村立前芝高等尋常小学校(現豊橋市立前芝小学校)に建てられたものである。その後、昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって各地の小学校に像が多く建てられた。そのとき、大きさが1mとされ、子供たちに1mの長さを実感させるのに一役買ったといわれることがあるが、実際に当時に製作された像はきっかり1mではないことが多い。これは、1940年ごろに量産された特定の像に関する逸話が一人歩きしたものと考えられる。この像が戦後、GHQの指令により廃棄されたといわれることがあるが、二宮尊徳が占領下の1946年に日本銀行券(1円券)の肖像画に採用されていることからも分かるとおり、像の減少と連合軍総司令部は特に関係は無い。戦前の像は銅製のものが多く、これらの多くが第二次世界大戦中の金属供出によって無くなったため、混同されたものと考えられる。石像のものはその後の時代も残った。また、残った台座の上に、新たに銅像やコンクリート像などがつくられることもあった。像のように薪を背負ったまま本を読んで歩いたという事実が確認できないことと、児童が像の真似をすると交通安全上問題があることから、1970年代以降、校舎の立替時などに徐々に撤去され、像の数は減少傾向にある。岐阜市歴史博物館調べによると、市内の小学校の55.1%に二宮尊徳像が存在し(2001年現在)、近隣市町村を含めると、58.5%の小学校に二宮尊徳像が存在する。ただしこれは局地的な統計であることに注意する必要がある。栃木県芳賀郡二宮町では、町内の全小中学校に像がある(2004年現在)。また、2003年に小田原駅が改築され橋上化された際、デッキに尊徳の像が新しく立てられた。(略)
引用:「二宮 尊徳」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2010年9月12日 (日)17:53URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3
by sembiri | 2010-09-20 08:04 | 仙美里小・(中)学校 | Comments(0)

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明美から臨む阿寒富士(右),雌阿寒岳,仙美里ダム(手前)

 明美地区から雌阿寒岳と阿寒富士を望むことができます。
 阿寒国立公園公園内に含まれるおもな火山は雄阿寒岳、雌阿寒岳、阿寒富士、藻琴山、摩周岳(カムイヌプリ)です。明美からは、この中から、雌阿寒岳、阿寒富士の2峰を見ることができます。
 手前に、「仙美里ダム」によって利別川が堰き止められた「下足寄湖」も見えます。利別川が、長年にわたって河岸段丘を形成したことが、容易に理解できます。まるで「地理」の教科書を見ているようです。

 阿寒富士(あかんふじ):美しい円錐状の山容を持つ北海道東部に位置する活火山です。標高1476m。白糠郡白糠町と足寄郡足寄町の境界に位置し、山腹の北東部が釧路市(旧阿寒町)に属します。

 雌阿寒岳(めあかんだけ):北海道、阿寒の活火山、標高1499。古くはアイヌ語でマチネシリ。足寄郡足寄町に位置します。

 私(ブログ作成者)は、明美集落に住んだ経験があり、仙美里市街までの坂を下りて登校し、坂を上って下校していました。坂を上って帰るとき、ふと後方に目を向けると、美しい景色に疲れを癒されたものです。
 また、高校時代には、バス遠足で阿寒富士登山をしたり、夏休みにその麓 オンネトー の湖畔でキャンプをしたことが思い出されます。

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by sembiri | 2010-09-19 19:48 | 仙美里の風景 | Comments(0)

 仙美里市街から農業大学校を進んだ西仙美里で 
畜産農家を訪ねました。 
福谷食料品店から数km進んだお宅です。以前は、乳牛を飼っていたのですが、現在は肉牛農家に切り替えたそうです。近所でも、同様に乳牛から肉牛に切り替える畜産農家が増えているとのこと。西仙美里では、畜産農家の場合、ほとんど肉牛農家のようです。
 次回は、乳牛農家を訪問しようと考えています。
 訪問時は、子牛に授乳する時間でした。「この子牛は、そろそろ授乳をやめるんです。」そう言われてみると、体格もずいぶん大きくなっていました。
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 さて、珍しい動物がいました。「ピグミーヤギ」 のようです。以前、おびひろ動物園で目にしたピグミーヤギに、また会うことができました。「ひまわり迷路」の関係者から譲り受けて、飼っているそうです。私が近づくと、人懐っこく柵に前足をかけてきました。2頭とも…。
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by sembiri | 2010-09-18 15:51 | 仙美里の風景 | Comments(0)

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 仙美里と足寄の境界に 仙美里ダム があります。利別川が,ダムで堰き止められて「下足寄湖」になっています。
 なお、本別の活込ダムで堰き止められてできた人造湖が「足寄湖」です。
 1962年(昭和37年)9月に新設された発電用ダムで、周囲約10kmで、最大水深は約10mでしたが、現在はかなり浅くなっているようです。

 私(ブログ作成者)が仙美里小学校に通っていたとき、父親が仙美里ダム建設にかかわっていた同級生2人いました。そして、ダムが完成すると、2人は転校していきました。
 仙美里中学校時代は、美術の授業で、仙美里ダムを写生したことも思い出されます。

 蛇足になりますが、元埼玉西武ライオンズで活躍した三井浩二投手の実家が、ダムを渡った湖の対岸にあり、現在もご両親が農業を営んでいます。.
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 下足寄湖には、冬から春にかけてタンチョウやオオハクチョウが飛来します。
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 以前、仙美里ダム下流から発電所のある勇足地区までは水流がなかったのですが、最近は常時放水しているので、水の流れがわずかながら戻り、少しずつ魚の姿が見られるようになったようです。写真は、仙美里橋付近の利別川の様子です。
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 人造湖の水は、一部明渠(めいきょ)と長いトンネルとで導水され,勇足地区の 「本別発電所」 に連繋し、利別川に還流されています。
 発電所の落差は33m、最大出力2万5000kwになります。
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地図:青☆印…仙美里ダム 緑☆印…本別発電所 赤☆印…活込ダム 茶色☆印…足寄発電所

by sembiri | 2010-09-18 06:31 | 仙美里の風景 | Comments(0)

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福谷商店(本別町西仙美里)=2011年8月撮影

 北海道立農業大学校の近くに 福谷食料品店 があります。看板は「福谷商店」で、住所は本別町西仙美里24-1。
 周りを圃場に囲まれて、1軒だけの店舗です。
 戦前、この地域には軍馬補充部がありました。その後、官舎が「仙美里中学校」や教職員に利用されたこともあり、多くの住宅がありました。
 開拓農協の購買部やたばこ屋さんもありました。
 やがて、中学校が現在の仙美里元町に移転しました。教職員は、しばらくの期間、旧官舎に住んでいました。しかし、現在は「北海道農業大学校」の関係者以外、住宅はほとんど残っていません。 

 私(ブログ作成者)が通ったときは、店にはシャッターが下りていて、自動販売機が稼働していました。
 私は,高校生時代,この地域の新聞配達を担当したことがあります。その時は,農業大学校のもとになる「農業講習所」の教職員の方々が住んでいて,一般の住宅もたくさんありました。福谷商店は,大勢のお客さんが利用していました。
 機会があれば、開店時にお店を取材してみたいです。

北海道立農業大学校=2011年8月撮影


地図:赤花印…福谷商店 青☆印…農業大学校 緑☆印…仙美里市街


by sembiri | 2010-09-17 07:33 | 仙美里の風景 | Comments(0)

 「子ども落語ライブ」
に、仙美里小学校の加藤君と岡本君の2人が出演します。
 9月26日(日)、本別町町図書館の主催で、中央公民館を会場にして「子どもの本・本の町・夢づくりフェスティバル」が開かれます。その中の「子ども落語ライブ」に3人の小学生が出演します。
 加藤君が「十徳」、岡本君が「権兵衛狸を披露する予定です。また、本別中央小学校の
小林さんも「寿限無」で加わります。
 3人は、図書館が町内各小学校で実施してきた落語の出前授業で、落語に興味を持ったとのことです。なお、3人は当日、本格的な着物姿で挑戦します。

《写真:本別町中央公民館》
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《地図:青☆印…図書館 緑☆印…中央公民館》

by sembiri | 2010-09-15 19:34 | 仙美里小・(中)学校 | Comments(0)

 9月11日(土)、十勝毎日新聞社本別支局杯争奪第12回選抜少年野球本別大会が
利別川河川敷の南、弥生両球場で開かれました。
仙美里グレートフレンズ 
は、1回戦で陸別レッドイーグルスに勝利しました。
 2回戦では、強豪の足寄スラッガーズと対戦して破れ、3・4位決定戦に臨みました。
 3・4位決定戦では、士幌ファイターーズに敗れ、4位になりましたは、3・4位決定戦で士幌ファイターズと対戦し、惜しくも敗れて、4位になりました。
 大会には、本別、足寄、士幌、陸別、中札内の計8チーム計8チームが参加し、足寄スラッガーズが2連覇を果たし、準優勝は中札内パワーズでした。

《参考:本別軟式野球連盟公式ホームページ》
http://www.geocities.jp/honbetsu_nanshiki_baseball/index.html

《写真:#]利別川河川敷の弥生両球場》
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by sembiri | 2010-09-13 17:31 | 仙美里小・(中)学校 | Comments(0)

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 仙美里地区の 旧拓栄小・中学校 を訪問しました。
 本別町立拓栄小学校は1957年(昭和32年)仙美里小学校奥仙美里分校から改称、1975年(昭和50年)3月31日仙美里小へ統合されました。
 本別町立拓栄中学校は、小学校と同じ1957年(昭和32年)4月1日仙美里中学校奥仙美里分校から改称、1961年(昭和36年)10月1日本別町立仙美里中学校へ統合されました。
 以前校舎や教員住宅だった建物は、現在、牛舎として使用されていまいした。
 聞く所によると,ここで営農しているのは 私(ブログ作成者)の同級生とのことです。私が、訪れたときは農作業に出ているようで、人の陰もなく、子牛が人なつこく鼻を寄せてきました。

 私が仙美里中学校の生徒だったとき、拓栄中学校が統合され、新しい友人が増えました。当時は、スクールバスで通学していて,バスは拓栄地域の中学生だけで満席状態でした。
 最近、仙美里中学校を訪問したときには,小・中学校を合わせても,美里別、拓農地域を含め全体で2台で運行していました。

参考サイト:廃校で消えた学び舎と校歌(本別町小学校編)
→ 
http://tueno.web.fc2.com/manabiya/41.html

参考サイト:廃校で消えた学び舎と校歌(本別町中学校編)
→ 
http://tueno.web.fc2.com/manabiya/62.html

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 建物の前に広がるなだらかな斜面は、牧草地になっています。子どもたちは、元気に遊んでいたのでしょうか。
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by sembiri | 2010-09-13 05:02 | 仙美里の風景 | Comments(0)

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仙美里地区の
旧美栄(びえい)小・中学校 を訪問しました。

 本別町立美栄小学校は1957年(昭和32年)仙美里小学校上仙美里分校から改称1974年(昭和49年)4月1日、本別町立仙美里(せんびり)小学校に統合されました。

 本別町立本別町立美栄中学校は、小学校と同じ1957年(昭和32年)4月1日仙美里中学校上仙美里分校から改称、1975年(昭和50年)4月1日、本別町立仙美里中学校に統合されました。

 以前の校舎や教員住宅が、廃屋のまま残されています。(写真上)

 私(ブログ作成者)は、高校生の時、年末年始の年賀はがき配達期間、仙美里郵便局でアルバイトをしました。そのとき担当した配達区域が「美栄地区」でした。
 地域には郵便ポストがないため、郵便を出したい人からは、私が郵便物を預かり、郵便局にもどってから、ポストに入れていました。
 また、配達は自転車でしていたので、地区のお宅でお弁当を食べることになっていました。今回訪れたのですが、それらしいお家は見つけられませんでした。
 一度、校長先生のお宅に郵便を届けて、「お茶を飲んでいきなさい。」とおもてなしを受けたことがありました。その住宅が、住む人もなく今も残っていました。(写真下)

 なお、下記の「とかち学び舎物語」のホームページで、かつての懐かしい校舎の姿が、水彩画でご覧いただけます。

参考サイト:廃校で消えた学び舎と校歌(本別町小学校編)
→ 
http://tueno.web.fc2.com/manabiya/41.html

参考サイト:廃校で消えた学び舎と校歌(本別町中学校編)
→ 
http://tueno.web.fc2.com/manabiya/62.html


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地図:赤☆印…美栄地区 緑☆印…仙美里元町地区


by sembiri | 2010-09-11 05:56 | 仙美里の風景 | Comments(0)